奈良県立図書情報館 まほろばライブラリー検索
検索トップ
図書情報館
このアイテムのアクセス数:
3,324
件
(
2023-09-29
13:58 集計
)
閲覧可能ファイル
翻刻を表示
アイテム情報
絵図名
[大和国式上郡上之庄村絵図]
絵図名ヨミ
ヤマトノクニ シキジョウグン カミノショウムラ エズ
刊年
1---
出版者
[出版者不明]
出版地
[出版地不明]
出版日付
[江戸期]
形状
4枚 ; 150×94cm他
解題・関連資料等
上之庄村は、大和川支流寺川中流域に位置し、「
村誌
」には、 「水利便ナレトモ、旱ニ逢ヘバ甚タ困シ、且水害ノ患ヒ有ル」と記す。江戸期は、柳本藩領で村高は722石余。 1図は「寛文拾三年丑六月吉日梶田井手相論図」とあり、北の初瀬川と南の寺川(多武峯川)の間を描き、上之庄村・新堂村・粟殿村の3ヶ村を中心に描く。 2図には「貞享弐年丑六月日控」とあり、ほぼ1図と同じ範囲を描く。 3図は欠年で「上之庄村絵図」と記し、庄屋・年寄の署名がある。北は初瀬川、南は「戒重御屋敷」や「大福村井手掛り川」、 西は新屋敷村、東は粟原川と多武峯川の合流点や谷村領の大福村井手を描く。 4図は欠年で題字や署名はなく、3図とほぼ同じ範囲を描く。 この内、2図は
貞享2年(1885)6月27日付の上之庄村の竹田井手水論言上状
(「桜井市史」史料編)の論所絵図である。 また、同言上状に13年以前に竹田川筋の「かち田井手之儀に付」三輪村と相論があったことを記すので、1図は、この時の相論絵図と見てよい。 一方、3・4図は寺川筋の水論絵図で、年代は、図中に見える織田監物(柳本藩主織田秀親)が遺領をついだ貞享4年から、 秀親が藩主退任をする宝永6年(1709)までの間である。
注記
彩色
請求記号
T-2-129
資料ID
556007066
所在
ふるさと貴重書庫
貸出区分
禁帯出
カテゴリ
絵図
古地図・地図