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2023-12-08
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アイテム情報
絵図名
阿紀山城圖 : 大和國宇陀郡
絵図名ヨミ
アキヤマジョウノズ : ヤマトノクニウダグン
絵図別名
阿紀山城図 : 大和国宇陀郡
刊年
1889
出版者
[出版者不明]
出版地
[出版地不明]
出版日付
明治22[1889]
形状
1舗 ; 95×79cm(折りたたみ25×17cm)
解題・関連資料等
阿紀山城は、松山の町の東にそびえる標高457メ-トルの古城山にあった秋山城のことで、南北朝内乱期から宇陀の国人として活躍した秋山氏の本城。 原図は文禄3年(1594)古図で、本図は明治22年の写。
明治41年に宇陀郡宇賀志村の薄木祐藏氏から本館に寄贈されたもの
で、 『
奈良県宇陀郡史料
』(大正6年)の折り込み図や 『
新訂大宇陀町史
』の口絵と同じものである。 秋山氏は室町時代初期に沢氏と共に宇陀郡の大半を両分する勢力をもち、北畠氏の家臣としては、宇陀三将の一人として勇名を馳せた。 天正13年(1585)に豊臣秀長の大和入国に際して秋山氏は追放され、秀長の家臣伊藤掃部頭が秋山城に入った。 翌年紀伊で討死した伊藤氏に代わって加藤光泰が入り、同16年羽田長門守、続いて多賀出雲守と代わり、 慶長2年(1597)に多賀氏が去って同5年から元和元年(1615)に福島掃部頭が改易され破却されるまで城は存続。 福島時代に秋山城を松山城と改名し、城下町が整備された (『
日本城郭体系』10
)。 本図には天守・本丸・大御殿・二之丸・御加番・御定番があり、大手門と春日社付近から通路があり、 西方山麓に城下町があるが、基本的に現城跡と異ならないので、職豊政権期の秋山城図の写と見て間違いない。
注記
複写版、薄木祐蔵所蔵
彩色
請求記号
T-2-115
資料ID
556007052
所在
ふるさと貴重書庫
貸出区分
禁帯出
カテゴリ
絵図
城