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2023-09-28
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アイテム情報
絵図名
和州奈良之繪圖
絵図名ヨミ
ワシュウ ナラ ノ エズ
絵図別名
和州奈良之絵図
著者
筒井, 庄八
刊年
1879
出版者
筒井庄治郎
出版地
大和国添上郡[奈良]
出版日付
明治12[1879]
形状
1枚 ; 50×65cm
解題・関連資料等
筒井庄治郎が、明治12年(1879)に発行した奈良名所案内図。
元治元年(1864)の「和州奈良之繪圖」
の改訂版。 編集者の「故人 筒井庄八」は元治版に見える「絵図屋庄八」のこと。
元治版
と同じ横長図で、南都七大寺の寺院名や奈良八景を列記し、 春日大宮御祭・同若宮御祭礼・薪能・二月堂・大仏殿の説明を付け、羅針盤をかたどった円形を12等分して方角を区切り、橋本町から各名所までの里数記入。 大仏殿の左には、「円聖武天王御勅願所也、御たけ五丈三尺五寸、御堂高サ十五丈六尺、東西卅二間南北二十八間、くわいろう東西九十間南北百間也、但南向」と記す。 西大寺・法隆寺などの名所は、実際の距離よりも近く描き、里数を注記。左側に絵図以外の情報をまとめ、東西の紙幅を広くし、合羽刷りで黄色と赤色の彩色を施す。 元治版の「五軒ヤシキ」の字を抹消し、「御奉行所」は「御奉行跡」に「多門屋敷」は「多門」にかえて奈良奉行所関連の文字を変更。 しかし、一乗院はこの頃はなく、同5年には興福寺の築地塀が取り壊され、明治12年ごろ、興福寺金堂は仮の堺県出張所で、 興福寺食堂の跡地には洋風建築の堺県師範学校分局奈良学校があり、遥拝所が興福寺南大門あったが (『
奈良公園史
』)、図中には反映していない。
和州南都之圖
宝永6[1709] [T-2-92]
和州南都之圖
安永7[1778] [T-2-97]
和州奈良之圖
天保15[1844] [T-1-70]
和州奈良之繪圖
元治元[1864] [T-2-101]
和州奈良之繪圖
明治12[1879] [T-2-102.1]
和州奈良之繪圖
明治12[1879] [T-2-102.2]
注記
和漢古書につき記述対象資料毎に書誌レコード作成
内題「和州奈良之繪圖」
刊記「明治十二年四月三日御届/編輯者 堺縣平民 故人 筒井庄八/出版人 同縣平民右筒井庄八相続人 筒井庄治郎/大和国 [住所略] 」
内匡: 46.9×63.8cm
色刷
請求記号
T-2-102.1
資料ID
556007039
所在
ふるさと貴重書庫
貸出区分
禁帯出
カテゴリ
絵図
古地図・地図