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(
2023-12-05
08:36 集計
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アイテム情報
絵図名
初瀬山之圖 : 豊山長谷寺本願院
絵図名ヨミ
ハツセヤマ ノ ズ : ブザン チョウコクジ ホンガンイン
絵図別名
初瀬山之図 : 豊山長谷寺本願院
刊年
1---
出版者
[長谷寺本願院]
出版地
[奈良]
出版日付
[江戸期]
形状
1枚 ; 38×50cm
解題・関連資料等
豐山長谷寺本願院の出版になる木版墨刷りの長谷寺境内図。 同寺の本尊は十一面観音で、西国観音霊場第八番の札所。僧道明が天武天皇の病気平癒を祈るために祀り、聖武天皇の頃に十一面観音像を祀る仏堂ができたという。 江戸期には、観音堂を中心とした霊場の性格と新義真言宗の僧侶養成道場の性格があった。 「学寮之数六十長屋余有之」とあるのは新義僧の養成所施設である。 天正13年(1585)豊臣秀吉による根来寺(新義真言宗)焼き討ちのあと、根来寺小池坊の専誉が長谷寺に入り小池坊を再興。 新義僧の教学指導上の権能を持つ小池坊は「能化の職の寺」といわれた。本願院は、法華千部・万部経の執行や祈祷旦那の御祈祷などを中心に活動、 観音散銭・開帳銀も支配。寛文年間(1661~72)までは、観音御影の販売権も独占。三重塔の支配も宝永2年(1705)まで行う。 しかし、延宝(1674)に小池坊らと訴訟を構えて敗訴後は一山の支配を受ける (「
長谷寺略史
」)。 小池坊(現本坊)が本図の位置に移転したのは寛文10年(1670)なので、これ以後の出版で、本願院が境内図をいつごろまで販売できたか分からないが、 本館所蔵の明治13年の長谷寺の
錦絵
や
銅版画
などより古く、江戸期の図と見られる。
初瀬山之圖
[T-1-54]
長谷名所一覧之圗
[明治13[1880].3] [T-1-44]
大和國豊山長谷寺眞圗
[明治13[1880].12] [T-1-39]
注記
木版, 墨刷
請求記号
T-1-54
資料ID
556006990
所在
ふるさと貴重書庫
貸出区分
禁帯出
カテゴリ
絵図
寺院