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2023-12-07
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アイテム情報
絵図名
大和國多武峯関西日光全圖
絵図名ヨミ
ヤマトノクニ トウノミネ カンサイ ニッコウ ゼンズ
絵図別名
大和国多武峰関西日光全図
著者
葛城, 俊治
刊年
1896
出版者
葛城俊治
出版地
大和國十市郡多武峰村
出版日付
明治29[1896].6
形状
1枚 ; 39×52cm
解題・関連資料等
明治29年に安達芳兵衛の印刷で葛城俊治が著作・出版した多武峯全図。
多武峯は藤原鎌足の遺骸をその子定慧が摂津国から移葬したことに始まり、多武峯妙楽寺として繁栄。
多武峯では塔婆の信仰を中心とする妙楽寺と、木像を祀る聖霊院とが対立するようになったので、延長4年(9236)に惣社が設けられ、談山権現の勅号が与えられた。
これ以降仏教的性格と神道的性格が混在。「版権所有」と記すが、構図は、寛政3年(1791) 『
大和名所図絵
』を踏襲し、 左上に御破裂山を配し、麓に多武峯の境内を描くが、帽子を被り洋服姿の人物に時代を感じさせる。
神仏分離令で仏教色を除き、明治2年(1869)6月30日に談山神社となる。
二ノ鳥居前の橋の左の「別各官幣談山神社」と書かれた標柱は、談山神社が別格官幣社になった同7年(1874)12月22日以降のもの。
左下隅に「大阪安堂寺町安達春魁堂彫刻印刷」とあり、大阪の石版印刷業者と見られる。
題字は、肩書に「大和国多武峯」と書き、大きな字で「関西日光全図」と記し、関西の日光として多武峯を売り出している。 このキャッチフレーズは、明治25年に亀の瀬トンネルが完成したのを機に、観光客の誘致を目指したものであろう。
注記
モノクロ
請求記号
T-1-46
資料ID
556006982
所在
ふるさと貴重書庫
貸出区分
禁帯出
カテゴリ
絵図
名所