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2023-12-05
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アイテム情報
絵図名
南都東大寺末寺大和國十市郡真言宗安倍山[絵図]
絵図名ヨミ
ナント トウダイジ マツジ ヤマトノクニ トオイチグン シンゴンシュウ アベヤマ エズ
絵図別名
南都東大寺末寺大和国十市郡安倍山絵図
刊年
1---
出版者
[出版者不明]
出版地
[出版地不明]
出版日付
[寛文5[1665]以降、江戸期]
形状
1枚 ; 80×81cm
解題・関連資料等
日本三文殊の一つとして有名な阿倍文殊院を描いたもの。大門や本堂、境内の2基の古墳が現状と同じ位置に描かれている。 古代豪族阿倍氏の氏寺とされる法隆寺式伽藍の阿倍寺が現在の場所の西南に確認されているが、 現本尊(文殊師利菩薩像、伝快慶作)の年代等から鎌倉期に移ってきたものと思われる。 寺の名称も、鎌倉時代の「東大寺要録」には崇敬寺と見え、室町時代の「興福寺官務牒疏」には「安倍山知足院」とあり、 「坊舎二十八坊、交衆十八人、承仕十二人」と記す。 「
大和志
」や 「
大和名所図会
」にも 「安倍山知足院」とあるが、梵鐘に「大和国十市郡/阿倍山満願寺/施主浅古村浄林/寛永二十未年十月十五日」の銘があり、 元文3年(1737)の「土産枝折鞭」にも「阿倍山万願寺」と見え、本図にも「南都東大寺末寺大和国十市郡真言宗阿倍山満願寺」とある。 「和州阿倍山崇敬寺由来記(元禄十一年)」によると、満願寺は音羽岳に落下してきた黄金文殊像を安置した小堂の名称で、これが安倍山の寺号ともなっていた。 本図は、文殊堂と礼堂は寛文5年(1665)4月に再建されているので、寛文5年以降の作成であろう。 これによれば、境内坪数は5万7654坪余で、僧坊は11坊を数える。
[関連資料]
筒井英俊編「東大寺要録」(1944)
注記
色調: 彩色
請求記号
T-1-42
資料ID
556006978
所在
ふるさと貴重書庫
貸出区分
禁帯出
カテゴリ
絵図
寺院