奈良県立図書情報館 まほろばライブラリー検索
検索トップ
図書情報館
このアイテムのアクセス数:
1,440
件
(
2023-12-05
07:56 集計
)
閲覧可能ファイル
翻刻を表示
アイテム情報
絵図名
大和國信貴山朝護孫子寺境内之圗
絵図名ヨミ
ヤマトノクニ シギサン チョウゴソンシジ ケイダイ ノ ズ
絵図別名
大和国信貴山朝護孫子寺境内之図
刊年
1---
出版者
[出版者不明]
出版地
[出版地不明]
出版日付
[明治31[1898]-40[1907]]
形状
1舗 : 34×47cm
解題・関連資料等
信貴山朝護孫子寺は、信貴山東南中腹に位置する。一般には信貴山寺、信貴の毘沙門さんとよばれる。 広大な境内には、舞台造の本堂・多宝塔などの堂宇や千手院・成福院・玉蔵院・宝寿院・光明院の塔頭が描かれている。 本図には「大阪田村豊盛堂石版部印行」と記しているが、石版は精細に描けるので明治20年代以降の寺社の境内絵図にも使用される。 左下には、大阪・京都・名古屋・奈良等から信貴山参詣の鉄道線路図が載せられている。 これによれば信貴山へは、八尾で下車して「七十丁」歩くか、王寺で下車して「二十八丁」歩くかの二つのルートがあった。 鉄道線路の内、京都~奈良は明治29年に開通して奈良鉄道が営業、 一方、名古屋~亀山経由の奈良行きは、関西鉄道が同31年4月加茂~大仏駅、翌32年には奈良駅まで開通させた。 しかし、明治37年12月奈良鉄道を合併した関西鉄道が、翌39年8月に大仏鉄道の廃止を決定し、同40年から加茂から木津経由奈良までの列車を走らせている (『
日本鉄道史
』)。 したがって、図中の鉄道線路図は、明治31年4月から同40年8月のもので、本図作成は、明治30年代と見られる。
注記
題簽「大和信貴山境内全図」
「略縁起」あり
「信貴山参詣鉄道路線図」あり
「大阪田村豊盛堂石版部印行」とあり
モノクロ
請求記号
T-1-41
資料ID
556006977
所在
ふるさと貴重書庫
貸出区分
禁帯出
カテゴリ
絵図
寺院