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2023-12-05
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アイテム情報
絵図名
[矢田山金剛山寺練供養図|]
絵図名ヨミ
ヤタヤマ コンゴウサンジ ネリクヨウズ
刊年
1880
出版者
矢田山金剛山寺
出版地
大和國添下郡矢田郷
出版日付
明治13[1880].4
形状
1枚 ; 38×51cm
解題・関連資料等
金剛山寺が発行した明治13年改板の練供養図。同寺は、矢田丘陵の東斜面に位置し、俗に矢田寺と呼ばれる。護国寺本「諸寺縁起集」には、天武天皇の本願、智通僧正の建立と伝える。嘉吉元年(1441)の「興福寺官務牒疏」には「文徳天皇勅願、万慶和尚中興」という。もと十一面観音を本尊としたが、平安以降は地蔵を本尊とし、地蔵菩薩の根本道場として栄えた。江戸時代には別当坊の北僧坊をはじめ20ケ坊あった。お練り供養は、明治13年に南僧房住職空円師が地蔵信仰を広めるために復興したもので、本図はこの時のチラシである。本堂にむかって楽人を先頭に児・十三仏・閻魔大王・満米上人・小野篁・鬼等が進み、その後ろに「廿五菩薩」が続く。この行列の両側には、多くの見物人が両手を合わせて拝観する姿が描かれている。見物人のほとんどは丁髷姿で、帽子を被っている姿が4~5人見えるだけである。明治政府は明治4(1871)年に散髪脱刀令を出し、同6年3月天皇も散髪し、急速に散髪は普及し、文明開化の象徴とも言われているが、矢田近辺ではまだ丁髷姿が多かったのであろう。図中の由緒書によると、毎年旧4月1日2日両日に練供養が行われていたことがわかる。
注記
由緒書あり
「満米上人弘仁年中ニ矢田山ニ住シ給フ、其此琰魔大王小野篁ニ勅シ上人ヲ冥府エ請シ、即日受戒之儀式有之後、琰魔上人ヲ引具シ地獄ノ有様ヲ歴覧被成候図並ニ上人戒行ニ因テ二十五菩薩来迎在ス図、此ノ仏体之粧ヲ以テ毎年一日、四月、二日両日之間練供養」と記す
明治13年4月改板
色調: 彩色
請求記号
T-1-38
資料ID
556006974
所在
ふるさと貴重書庫
貸出区分
禁帯出
カテゴリ
絵図
寺院