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2023-12-05
08:44 集計
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アイテム情報
絵図名
大和國法隆寺大伽藍寺院境内之圖
絵図名ヨミ
ヤマトコク ホウリュウジ ダイガラン ジイン ケイダイ ノ ズ
絵図別名
大和国法隆寺大伽藍寺院境内之図
刊年
18--
出版者
文溪堂
出版地
東都[江戸]
出版日付
[江戸期[18--]]
形状
1枚 ; 36.5×48.8cm
解題・関連資料等
江戸期の法隆寺西院伽藍境内図。東都書肆文渓堂刻。 図中には、竜田新宮の社僧の東之坊の屋敷や、明治のはじめに廃寺になる安堵の常楽寺が見える。 堂舎には、南大門、浴室、西大門、中之門(東大門)、金堂、鐘楼、経蔵、講堂、上御堂、三経院、聖霊院、東室、妻室、綱封蔵、細殿、食堂、寄角門などの名称を記入。 僧坊は多く「坊中」と記すが、法隆学問寺の根本道場の勧学院の名前がみえ、西円堂近くの円明院の記入もあり、「親鸞聖人留学旧地」と記入する。 円明院は、建久2年(1191)の秋、親鸞聖人が法隆寺に遊学し、覚運僧都より因明を学んだと語り継がれ、親鸞作と伝える太子十六歳像があった。 しかし、円明院は衰微し、安政3年(1856)の記録に「学侶坊、無住、無坊舎」とあり、親鸞作の太子像の什物は、東蔵院へ預けられていた。 天保13年(1842)には、東蔵院行賛の勧進によって本願寺広如上人より厨子が新造され、その頃からこの太子像を通して、親鸞と法隆寺が結ばれ、 太子信仰と親鸞信仰が強いきずなで結ばれることになったらしい (高田良信『
法隆寺子院の研究
』)。 本図に親鸞旧跡の記入があるのも、親鸞信仰との結び付きが流布して真宗門徒の参拝があったからであろう。
注記
色調: モノクロ
請求記号
T-3-194
資料ID
556006736
所在
ふるさと貴重書庫
貸出区分
禁帯出
カテゴリ
絵図
寺院